ご存知オラクルのラリー・エリソンのお話なのですが、
オラクルといえば私が92年ごろかな、日本オラクルのセミナーに
行って感じた異様な雰囲気がいまでも印象に残っています。
それは原宿のクエストホールで行われて、有名ミュージシャンの
ライブがあって、そのあとオラクルの社員がビデオを使って会社を説明し、
立食パーティっていう感じでした。
とにかく派手で型破り、という印象を持ちました。
時代がバブルの最後だったし、その余韻を求める理系学生には
魅力的だったのでしょうが、私にはどうも受け入れ難い雰囲気でした。
いま「カリスマ」を読んで、90年ごろまでのオラクルという会社は、 会社自身が巨大な「バブル」だったのだな、ということが見えてきます。
オラクルが強引なセールスで毎年2倍以上の成長を遂げていく
その裏で、不良売掛金が無視できない金額になった。
90年からの数年は、株価の急落・株主代表訴訟・SECの告訴など、
そのバブルのツケを払った上で、営業のあり方や経営のスタイルを
大きく変えざるを得なかった時期だったようです。
経営改革や新製品「Oracle7」などでその停滞を打ち破って、
健全な企業として再建されていく経緯は、いまの日本経済が
参考にするべきものなのかも知れません。。
R.ストラスは「マイクロソフト・ウェイ」で「もしエリソンがいなかったら、
(略)彼という人物を創造しなければならなかっただろう」と書いています。
エリソンとオラクルについての本「カリスマ」には、まさに
「マイクロソフト・ウェイ」になかったさまざまな要素を期待できます。
無能の烙印を押された若者時代、
強引で詐欺まがいのセールス、
IBM大型機とDECミニコン相手のビジネス、
芸術、ヨット、自家用機、フィットネス、スポーツなどへの贅沢なこだわり、
そしてセックススキャンダル。
もちろん、類似点もたくさんあります。 類似点を語るときの著者は、マイクロソフト、オラクル、にアップルを加えて その3社について語っています。 スティーブ・ジョブズとラリー・エリソンの親友としての付き合いや、 ビル・ゲイツが初めてエリソンの豪邸を訪問したときのエピソードについても 語られています。
技術書・歴史書としての「カリスマ」はそれほど密度の高い本だとは言えない のですが、「SQL を育てた男たち」の興味深い物語に加えて、 強いカリスマと、エリソンの目標を実現させた周囲の強力な個性と 心温まるエピソードの数々を堪能することができます。 97年の話題も豊富に取り入れられており、たった今書き上げられたような up-to-date さを感じながら読むことができました。
経営的な側面からいえば、オラクルの初期の成功は、 借り物のコンセプトを誰よりも早く商品にしてしまった、 そのタイミングの良さと、セールスの巧みさ。 ユーザに問題解決のビジョンを見せたことが重要だった。 そのビジョンが幻であったとしても、ユーザはそれを必要と していた。原書のタイトルは遊び好きの社長が成り上がって挫折していく経緯は、 ゲイリー・キルドールのディジタル・リサーチとかわらんやんけ、 と思うのだけど、 オラクルは、あまりに重要な顧客(大企業の基幹業務や政府など)を 多く得てしまったために、できませんでした、で済ませる ことができなかった。 生き残るために、看板に中身が伴うべく努力することが要求された。 そうした経緯で会社を建てなおし、いまのオラクルがある。
技術的な側面でいえば、オラクルは他社に先駆けて 大規模なアプリケーションを C 言語という 移植性の高い言語で実装した。 たまたま初期の顧客の必要に迫られて、移植性を高めざるを 得なかったからそうしたのだが、後には、 オラクルはどんなマシンでも動く、というのが、 とても強力なセールスポイントになった。
そう読むと、いま多くのベンチャー企業が 100% pure Java に 社運を賭ける気持ちも、わからなくはない、というところだ。
彼が興味を持っているのは、情報通信革命などではなくて、 自分自身がナンバー1になることだけ、だと著者は言い切っています。 それがたまたまシリコンバレーで、たまたまSQLだったに過ぎない、 それがエリソンなのだと感じました。